自然との共存を描いた 『平成狸合戦ぽんぽこ』の名言に潜む人間社会への皮肉
1994年7月16日公開の高畑勲監督が手掛けるアニメーション映画。人間を主人公とすることが多いジブリ作品の中、珍しくも動物の「タヌキ」をメインキャラクターとしたのが、この『平成狸合戦ぽんぽこ』です!
都市開発で人間たちは自分たちの住処である山や森を破壊し始めた。そこで開発を阻止すべく、タヌキたちは人間に抵抗していく様子を描いた物語。
タイトルの「ぽんぽこ」という言葉からすると、一見「ほのぼの系のコメディアニメかな?」と思ってしまいますが、実は「私たち人間への辛辣なメッセージ!」が込められたブラックユーモアな作品といわれているのです。
そんな映画に出てくる「人間社会への皮肉とも取れる名言」をご紹介します!
目次
- あらすじ
- 皮肉たっぷり!『平成狸合戦ぽんぽこ』の名言
- 【名言①】「俺たちは縄張りがどうとか固いことは普通言わないんだが、今度だけは違った。どこのエサ場へ行っても、やたら他の連中とぶつかる」(語り:正吉)
- 【名言②】「♪タヌキを減らせ れんげきょう 残ったタヌキは身を慎んで子供増やすな ナンマイダ 子供増やせば元のもくあみ 森がないんだ れんげきょう♪」(おろく婆)
- 【名言③】「オラたちタヌキはヒトがいい。調子に乗る、サービスしすぎる!これが、失敗の元じゃ」(鶴亀和尚)
- 【名言④】「最近では、精力剤としては即効性の高い市販のドリンク剤が活用され始めた」(語り:正吉)
- 【名言⑤】「無邪気な手毬唄にさえ、俺たちタヌキを鉄砲で撃って、煮て、焼いて食う。残酷な人間の本性が歌い込まれていることをな!」(正吉)
- 【名言⑥】「(人間とは)どこまで業が深いんじゃろう」(おろく婆)
- 【名言⑦】「突然、人間たちは森羅万象の神秘に驚き、いかに人間が卑小な存在であるかを思い知るのじゃ」(太三朗禿狸)
- 【名言⑧】「種を保存するなら、できるだけ優秀な遺伝子を残すべきです!」(竜太郎)
- 【名言⑨】「人間どもの方がタヌキだったんだ!」(文太)
- 【名言⑩】「テレビや何かでいうでしょう? “開発が進んで、タヌキやキツネが姿を消した”って。あれ、やめてもらえませんか? そりゃ、確かにキツネやタヌキは化けて姿を消せるのはいるけど…。でも、ウサギやイタチはどうなんですか?」(ぽん吉)
- まとめ
あらすじ
昭和40年代。人間たちは高度経済成長の波に乗り、豊かな都市づくりをどんどん進めていた。ここ東京の多摩地域でも「ニュータウン計画」として住宅街の開発工事が行われ、周辺の山や森が切り崩されていった。
一方、多摩の自然に住むタヌキたちは長きに渡り、一族同士による縄張り争いが繰り広げられていた。そんな中、ふと下界をのぞいてみると、人間たちが開発工事により、山が削られて土肌がむき出しにされた「ノッペラ丘」が広がっていることに気づく。
このままだと自分たちの住処が奪われることを危惧したタヌキたちは、全員集まって緊急会議を開く。
開発阻止の方針を決めた後、一族の長たちが最終的に話し合った結果、対抗策としてあらゆるものに姿を変える秘伝の術「化け学」を多くのタヌキに普及すること、人間研究に取り組むことに決めた。
画して、タヌキたちは化け学伝授の訓練に取り組んだり、他の地域のタヌキの力を借りようと阿波と四国に使いを派遣した。
こうして取り組んでいる間にも人間たちは都市開発を進めていくため、タヌキたちも強硬手段を取る。しかし、自分たちタヌキの恐さがいまいち伝わらず、一向に工事を止めずにいた。
しばらく時が経った後、ようやく四国から長老タヌキ3名が多摩にやってきた。彼らは人間たちに恐ろしさを伝えるには「妖怪大戦争」しかないといい、タヌキたち全員で特訓を開始する…!
皮肉たっぷり!『平成狸合戦ぽんぽこ』の名言
この『平成狸合戦ぽんぽこ』には、他のジブリ映画では見られない「悲痛な死」が描かれているシーンがあります。人間たちがタヌキを殺したり、逆にタヌキが人間を殺してしまうという残酷な内容があるのですが、それを明るいコメディタッチの作品に上手く溶け込ませて表現しています。
この映画で訴えるのは、単純に「人間の環境破壊、動物虐殺が悪い!」というものではないのです!
そこには、タヌキたちから見た「人間たちのおろかさ、ひどさ」、「現代社会に生きる人間の苦しみ」をも表しており、それはまたタヌキたちの行動を通して、同様のメッセージが込められているのです。
そして何より後味悪い部分なのは、「人間たちと動物たちが対立するこの問題を解決するための、はっきりとした答えがない!」という所です。「そんな簡単にはいかない。だから私たち人間はどうするのか?」という質問を投げかける作品でもあります。
そんな作品の中から、私たち人間への警鐘とも取れる名言を10選、ご紹介します!
【名言①】「俺たちは縄張りがどうとか固いことは普通言わないんだが、今度だけは違った。どこのエサ場へ行っても、やたら他の連中とぶつかる」(語り:正吉)
映画の冒頭部分の語りにて。人里近くの自然に住むタヌキたちの暮らしぶりを説明する中での一節。
昔からタヌキたちはそれぞれの住処で暮らし、お互い干渉せずに暮らしてきました。しかし、タヌキたちの知らぬうちに人間たちが自然を壊していく影響でエサが採れる場所が少なくなり、結果、他のタヌキたちの住処に進出し始めました。
そしていつしか、自分たちの生活を守るための「縄張り争い」へと発展してしまったのです。
私たち人間も「自分たちの暮らしをより豊かにしよう」と、他の土地に対して領地拡大や資源を奪うための戦争を仕掛けてしまいます。「自分たちが生き抜くために必要な手段」と聞こえが良い理由を主張し、暴力や虐殺に走ってしまう…。
そんな「人間たちはあさましい」と、暗にほのめかしている名言です。
【名言②】「♪タヌキを減らせ れんげきょう 残ったタヌキは身を慎んで子供増やすな ナンマイダ 子供増やせば元のもくあみ 森がないんだ れんげきょう♪」(おろく婆)
タヌキたちの縄張り争いで始まった合戦を止めようと、おろく婆(清川虹子)が太鼓を叩き、歌いながら乱入してきました。その彼女の歌の中の一節。
彼女は「縄張り争いの原因を作ったのは、森や山を切り崩している人間たち!」だと分からせ、「エサが採れる自然がなくなってきたら、食糧難になる。生きのびるにはタヌキの数を減らすしかない!」と訴えたのです。
しかしながら、子供を作らないのはその場限りの策なので、根本的な原因である人間を何とかしなければならない。そこで、タヌキは対策を考え始めるのです。
私たちも大きな問題を前にすると、つい何らかしらの安易な解決方法を取ってしまう傾向があります。
例えば、ある会社の社長が「売り上げ不振が続くから、とりあえず従業員の賃金カットやリストラをする!」と決めてやっちゃうと、必要な人手が足らなくなり、さらに売り上げが落ちていきます。根本である「経営戦略に問題があるのでは?」と確かめようとしないから、こうなるのです。
このように、「本当の重要な原因を見つけ、どう解決するかを考えること!」にいち早く取りかからないと、いつまでも苦しみが終わらないことを伝える名言ですね。
【名言③】「オラたちタヌキはヒトがいい。調子に乗る、サービスしすぎる!これが、失敗の元じゃ」(鶴亀和尚)
若いタヌキたちに化け学を使う上での心構えを教える授業にて。鶴亀和尚(5代目柳家小さん)が、昔の言い伝えを取り上げて説明した時のセリフ。
その言い伝えとは、「ある満月の出た夜。あるタヌキが人間から隠れようと木の枝に化けた。人間はタヌキだと気付いてないが、”この木の枝は1本じゃなく、2本じゃなかったかな?”と言ったのを聞き、2本の枝に化けた所、たちまち木から落ちてしまった」というものです。
そこから得られる教訓は「人間に言われるがままに調子に乗って変化すると、痛い目をみる」ということで、私たち人間の側から見てもあてはまる部分があります。
例えば、店主のこだわりでラーメン1つのみを提供するお店があり、そこは連日、行列を作る程の人気店。ある日、「もっと売り上げを伸ばせる!」と考え、炒飯、餃子、挙句の果てにカレーライスまでメニューに加えた所、ラーメンも含めて味が落ち、たちまちお客さんが来なくなりました。
このように、「そのまま一つのことに集中してやり続ければ成功していたのに、つい欲張り、余計なことにも手を出してしまうことで全て中途半端となり、失敗してしまう」という、人間の愚かさも言い表した名言ですね。
【名言④】「最近では、精力剤としては即効性の高い市販のドリンク剤が活用され始めた」(語り:正吉)
タヌキたちの化け学講習が最終段階に入り、いよいよ人間に化けて人間社会に潜り込む実地訓練の様子を説明する語りの一節。
タヌキたちが化けた状態をキープするには、非常に体力を消耗します。そこで、彼らは精力をつけるためにトカゲの干物などを食べていましたが、人間社会には「栄養ドリンク」という、飲めばすぐ元気になれる代物があると知り、それが主流となりました。
高度経済社会のこの時代、毎日の残業にも明け暮れるほど仕事をしている人が多く、たとえ体がヘトヘトになっても栄養ドリンクを飲んで働き続けなければなりませんでした…そんな環境は現在も続いているところがあります。
このシーンではヘトヘトになりながらも働き続ける人間の悲しさを物語るかのように、タヌキは体力がなくなると目の下にクマを作り、しまいには変化が解かれて倒れこんでしまうのです。
今では「働き方改革」と言われ、労働環境が変わってきている現代ですが、この名言は働く人にとって長時間労働の辛さが共感できる名言と言えます。
【名言⑤】「無邪気な手毬唄にさえ、俺たちタヌキを鉄砲で撃って、煮て、焼いて食う。残酷な人間の本性が歌い込まれていることをな!」(正吉)
ある夜、正吉(野々村真)とおキヨ(石田ゆり子)が自分たちタヌキがよく歌っているわらべ歌『あんたがたどこさ』について話している際、「自分は子供のころ、父親にこう言われた」とおキヨに話し始めた時のセリフ。
「人間は残酷にもタヌキを食料として狩ってしまう。そんな野蛮な奴らだから、気をつけろ!」と正吉は父親に教わったのだそうです。また、おキヨの祖父も人間に狩られ、毛皮をはぎ取られて高く売られたのでした。
ところで、なぜ人間たちの残酷な様子を歌詞にしたこの歌を正吉、おキヨを含むタヌキたちが笑いながらも歌っているのでしょうか? それこそ、この映画の作り手が仕掛けた人間に対するブラックユーモアなのです。
被害者であるタヌキたち自身が『あんたがたどこさ』を歌うことで、「”俺たちタヌキが人間にされた仕打ちを未来永劫、ずっと忘れない!”という、強い憎しみが彼らにはあるのだ」と言い表しています。
そんなわらべ歌を私たちは子供のころ、深く考えずに楽しく歌っていたのですから、あらためて考えると恐ろしいと感じる名言ですね。
【名言⑥】「(人間とは)どこまで業が深いんじゃろう」(おろく婆)
各地の開発工事で出た残土を運ぶトラックを追い、神奈川県藤野町(現在の相模原市)から多摩へとやって来たタヌキ・林(加藤治)を保護した地元タヌキたち。
林が言うに、「人間たちが他の土地でゴルフ場、ゴミ処理場の開発ために山や森を切り崩し、そしてその残土を藤野町の山地に捨てている。残土で川は汚され、土砂崩れが起きることで、地元の動物たちの住処は失われつつある」とのこと。
それを聞いたおろく婆は、「ニュータウン開発のためにそこの山や森を切り崩すだけじゃ飽き足らず、他の土地の自然をも壊すなんて、何て人間はワガママなんだ!」とあきれた様子でつぶやいたセリフ。
確かに言われる通り、私たちの中には自分勝手にゴミを自然の中に捨てしまう人間がいます。「自分たちだけがこの世界に生きている」と言わんばかりに、本来の自然界では不要なゴミを動物たちにお構いなしで捨てているのです。
一方で都会の中の人間同士でも、同じく身勝手な場面があります。路上でのタバコや食べ物などの空容器のポイ捨て、電車内の携帯電話の通話、音量を上げて音楽を聴いたりと、平気で周りの人がいる快適な環境を壊す人がいます。
「そんな身勝手で横暴な行動は、今すぐやめなさい!」と、人間を訴えているような名言です。
【名言⑦】「突然、人間たちは森羅万象の神秘に驚き、いかに人間が卑小な存在であるかを思い知るのじゃ」(太三朗禿狸)
タヌキたちが恐ろしい妖怪に化けて夜の街に繰り出し、人間たちを驚かす「妖怪大戦争」がついに決行されました。その結果、街の人間たちは不可思議な現象が起きたとして不安になったため、タヌキたちは勝利が近いと確信していました。
そのタヌキたちの勝利を祝した大宴会で、若いタヌキたちの前で太三朗禿狸(5代目桂文枝)が人間たちの本質を語った時のセリフ。
人間たちは科学で証明できることしか信じず、妖怪なんていう非現実的なものを見ても、「神経がおかしくなったから、夢を見ているに違いない」とその存在を認めようとしない。
そんな人間たちを、「卑小=取るに足らない、ちっぽけな存在」とし、バカにしていることを表している名言です。
確かに、私たちは自分の想像を範囲を超えたものに出会うと、「ウソに決まってる!」、「誰か、自分をだまそうとしているだけでしょ!?」のように、何か「常識的に信じられる理由」を探して自分を納得させようとします。
昔の人間なら純粋に神様のタタリやタヌキが妖術を使って化かしてきたと信じていたのに、いつしか時代が進んで文明が発達するにつれ、その心も忘れ去られていきました…。
「純粋な信じる心を捨て、一つの考えに凝り固まってしまった人間はつまらない」と、タヌキからあきれられているような気がしますね。
【名言⑧】「種を保存するなら、できるだけ優秀な遺伝子を残すべきです!」(竜太郎)
タヌキたちが一致団結して人間たちを驚かした妖怪大戦争のはずだったのに、「レジャー施設の宣伝用パレードだ」と運営会社の社長がマスコミに発表したせいで、自分たちの恐ろしさがアピールできずに終わりました。
「もう駄目だ」と意気消沈しているタヌキたちをよそに、化けて人間社会に溶け込んで暮らしているキツネたちのリーダー・竜太郎(福澤朗)が、タヌキの金長(3代目桂米朝)の前に現れました。
竜太郎は、「タヌキたちをレジャー施設のスタッフとして働かせてみないか?」と金長に仕事を持ちかけたのです。
その交渉の最中、金長は「化け学を会得しているタヌキはそれで生きていけるが、できないものはどうするのか?」と聞いた際、竜太郎が答えたセリフ。
実はキツネたちも同様、随分前に自分たちの住処を人間たちに壊され、一族は絶滅の危機に向かっていました。そこで彼らは苦渋の決断として、「人間社会に溶け込む」ことにしたのです。
当然、キツネたちにも変化ができないものもいましたが、竜太郎が言うに、「一族が生きていくため、生きる力が弱い者は切り捨てた。”キツネ”という種族は滅びようとも、我々の少しでも生き延びられたら良い!」という思いから決めたことだと。
これは、人間社会にもあてはまる部分があります。「学校では勉強についてこられないなら落第」、「会社では仕事で良い成果出せなければクビ」と、劣等な人間は見捨てられてしまう。
「そんな競争激しい現代社会に生き続けられる自身はあるのか?」と、問われているような気分になる名言です。
【名言⑨】「人間どもの方がタヌキだったんだ!」(文太)
化け学復興のため、佐渡にいるベテランのタヌキを探しに旅に出ていた文太(村田雄浩)が3年ぶりに多摩に帰って来ました。しかし彼が久しぶりに多摩の風景を見ると、最後に見た時よりも人間たちの都市開発は進んでおり、落胆してしまいます。
都市開発を阻止できなかった現実に絶望し、悲しみにさいなまれている文太が、仲間のタヌキたちに言ったセリフ。
「自分たちの森や山を人間達から守るんだ!」、「正吉や仲間のタヌキたちが自分がいない間に人間たちの開発を止めてくれている!」と信じて旅に出ていた彼にとって、目の前の変わってしまった多摩の光景が信じられなかったのです。
「タヌキたちは人間を化かして驚かしているだけなのに、なんで人間はタヌキから住処を奪い、ましてや平気で殺してしまうんだ!?」という、彼の悲痛の叫びが聞こえてきます。
私たちは意識しておりませんが、動物たちの目から見ると、「ひどい!」、「残酷すぎる!!」と思われることを平気でやり、さらにはそのことに何の罪悪感を感じずに暮らしていることが許せないのです。
「人間たちは、動物たちのたくさんの犠牲の上で生きている!」と、痛烈な人間批判を表した名言ですね。
【名言⑩】「テレビや何かでいうでしょう? “開発が進んで、タヌキやキツネが姿を消した”って。あれ、やめてもらえませんか? そりゃ、確かにキツネやタヌキは化けて姿を消せるのはいるけど…。でも、ウサギやイタチはどうなんですか?」(ぽん吉)
最終的にタヌキたちは人間たちに負け、正吉たち化け学を会得したタヌキたちは人間に化けて暮らしていくことに決めました。
それから時が経ち、正吉が仕事を終えて帰宅する途中、ぽん吉(9代目林家正蔵)を含む変化できずに人間から隠れて生きるタヌキたちと再会し、喜びを分かち合います。そして映画の終盤、ぽん吉が人間たちに向けたメッセージとしてこのセリフを言います。
正吉たちがしてきた抵抗活動は結局、人間たちの都市開発を止めることはできず、多摩のニュータウンは完成されてしまいました。けれども、タヌキたちが生息していると分かった人間たちは、彼らのために一部の山林を残したり、自然の多い公園を建設したのです。
こうした少なからずの変化をもたらしたとは言え、タヌキたちにとって多摩は昔よりも住みにくくなったという現実は変わりません。相変わらず、自然の中にエサは少ないからと人間のゴミを漁り、移動している道路上で車に轢かれて死んでしまうタヌキがいるのですから。
そんなタヌキや他の動物たちの現状を知らずにいる人間に対し、ぽん吉は嫌みを込めて言ったのです。「自然の動物たちが自らの意思でどこかへ消えたんじゃなく、あんたたち人間に殺されたり、住処を追われて絶滅したんですよ!」という意味が込められているのでしょう。
「絶滅してしまった悲しい動物たちがいる。だから、今生きている動物たちをきちんと保護していかなければならない」と立派なキレイごとは言うけれど、「それって人間たちがいなけりゃ、動物たちは滅ばずに済む話じゃないか!?」という事実を隠しているだけだと、皮肉った名言です。
まとめ
『平成狸合戦ぽんぽこ』の名言をご紹介しました!
こうして見ると、「人間というのは本当に罪深く、そして身勝手な生き物なんだ!」と痛感させられます。とは言え、今の便利な暮らしを捨てて元の自然を動物たちに返すことは難しいです。
これからの未来、どんどん文明は栄えていきます。しかしこれが、「本当に私たちの目指す未来なのか?」と、この映画がしきりに私たちへメッセージを送っているようです!
あなたなら、このタヌキたちのために一体何ができますか?