死後の世界を描いた『崖の上のポニョ』にまつわる都市伝説考察 | 意味が分かると怖すぎる!
2008年に公開されたジブリ映画『崖の上のポニョ』は、その可愛らしいデザインと藤岡藤巻・大橋のぞみちゃんが歌うキャッチーな主題歌で有名になりました。
しかし可愛らしいイラストとは裏腹に、ネットでは「世界観がよく分からない」「津波後の展開が怖い」という声があります。死後の世界を表現している、という都市伝説も…。
この記事では、『崖の上のポニョ』にまつわる謎を詳しく考察していきます。「観てもよく分からなかった」という人も、本記事を参考にしてもう一度観れば、宮崎駿監督がポニョに込めた深いメッセージ性が分かるはずです。
また、この記事では物語のネタバレが含まれておりますのでご注意ください。
『崖の上のポニョ』のあらすじ
考察に入る前に、まずは『崖の上のポニョ』のストーリーを簡単におさらいしていきましょう!
【『崖の上のポニョ』あらすじ前半】ポニョと宗助の出会い
崖の上の一軒家に住む宗介はある日、家出してきた魚の子・ポニョに出会う。瓶から頭が抜けなくなったところを助けてもらい、ポニョは宗介のことが好きになる。宗介もポニョを好きになる。
しかし、二人の仲を裂くようにポニョは魔法使いの父フジモトが連れ帰ってしまう。フジモトは人間の破壊性を毛嫌いしていたため、ポニョの外界への興味を抑えつけ、力を奪って閉じ込めようとした。
「ポニョ、人間になるー!」
宗介との出会いをきっかけに、人間になりたいと願うポニョは、妹たちの助けでフジモトが長い時間をかけて創り出した「生命の水」を使ってしまう。そして人間の女の子の姿と魔法を手にして再び宗介のもとに駆けて行った。
しかし溢れた「生命の水」によって、魔法の力を得た海の生き物は巨大化し、海は大きな津波と化した。ポニョを乗せた大津波は宗介が住む町を丸ごと飲み込んでしまうのだった。
【『崖の上のポニョ』あらすじ後半】リサとグランマン・マーレの相談
ちょうどその時、海が大変なことになっていることに気付いたフジモトは自分の妻でもある海の女神グランマン・マーレに、ポニョを人間にしてしまうことを提案されていた。しかし、人間になるためには試練を課す必要があった。
一夜明け、宗介とポニョは、町の様子を見に行ったリサを探しに行く。ポニョの魔法でオモチャの船を大きくして、町の様子を見に行くと、町はすっかり海の下に沈んでいた。
やっとのことで老人ホームに辿り着いた宗介は、グランマン・マーレに質問される。
「ポニョの正体が半魚人でもいいですか?」
「うん、ぼくお魚のポニョも半魚人のポニョも人間のポニョもみんな好きだよ」
宗介がそう答えたことによって試練は果たされ、ポニョは魔法の力を失い、普通の人間の女の子として宗介とともに生きることになった。
『崖の上のポニョ』についての都市伝説&考察
『崖の上のポニョ』にまつわる都市伝説で、最もまことしやかに囁かれているのが「死後の世界を表現している」という説です。
これには、ジブリの音楽を担当している久石譲が答えといえる言葉を残しています、
彼はポニョの曲を作曲するにあたって、「死後の世界、輪廻、魂の不滅など哲学的なテーマを投げかけている」とインタビューに答えていました。つまり、公式設定でポニョは死後の世界を描いていると断言できます。
ここからは、そんなポニョにまつわる都市伝説を考察していきます。
【ポニョ考察①】親子なのに「名前」で呼び合うリサと宗介の関係性とは
宗介は血の繋がった実の両親のことを「ママ」や「パパ」と呼ぶのではなく、名前を呼び捨てにしています。この関係性に違和感を抱いた人も多いでしょう。
これについて鈴木達夫プロデューサーは「家族という間柄であっても、お互いに名前で呼び合うのは一個人の自我として自立するべきという考えの象徴」と公言しています。「母親として」「息子として」ではなく、「リサとして」「宗介として」互いに人格を尊重し合っているという表現だったのです。
また、リサは町の人々を心配しての行動とはいえ、子どもたちだけを家に残して夜に出掛けてしまいます。宗介がしっかりしているとしても、たった5歳の息子を置いていくなんて、リサは放任主義なのでは?とモヤモヤした方もいらっしゃるでしょう。
しかし、リサは宗介を信じていたからこそ置いていったのではないかと考えられます。出掛けた先でグランマン・マーレに会い、二人の試練のことを聞いても迎えに行かずに待っていたのは、宗介とポニョなら自分たちの力でたどり着くことができるという信頼があったから。リサの大いなる決断と覚悟が表現されているのです。
【崖の上のポニョ考察②】宗介のキスにより人間になったポニョのその後
宗介とポニョはトンネルとくぐり抜けた後、フジモトの誘惑に屈することなくリサが待つ老人ホームに到着することができました。そこで宗介はグランマン・マーレによる3つの質問をクリアします。ポニョの正体が魚であっても半魚人であっても、変わらぬ真実の愛を誓うという儀式でした。
宗介とキスすることによってポニョは魔力を失い、晴れて人間の女の子になることができました。試練は見事達成され、ハッピーエンドという結果になります。
しかし、これはポニョにとってのハッピーエンドに過ぎないのではないでしょうか。
宗介はまだ保育園に通う5歳の男の子です。まっすぐでしっかりした性格ではありますが、物事の善悪や是非を判断するには幼すぎます。グランマン・マーレの質問に対しても、これを答えることによってどんなことが起きるのかを考えずに答えた可能性があるのです。また、自分の回答次第ではポニョが死ぬという事実を突きつけられ、「好きじゃない」と答えられるはずがありません。
宮崎駿監督がこの作品に込めたメッセージの一つに、「真実の愛」があります。大人のように合理性で判断するのではなく、本質的な視点で生きている子どもだからこその「真実」を表現しているのかもしれません。しかし、死ぬまでポニョを愛し続ける必要があるという人生を、本人の意思とはいえ5歳の段階で決められてしまったのは、現実的に考えて酷な結末といえるでしょう。
【ポニョ都市伝説①】水没した町にいた古代魚が示すのは「回帰」
溢れた「生命の水」によって海は津波として膨れ上がり、宗介の町を飲み込みました。ポニョと宗介がオモチャのボートに乗ってリサを探しに行く時、水没した町には古代デボン紀に存在した古代魚たちが泳いでいて、まるでファンタジーの世界に迷い込んだかのような世界観に様変わりしていました。
はるか昔に滅んだはずの古代魚の登場は何を指しているのでしょうか。
魔法の力でよみがえった古代魚は、「回帰」を意味しています。本人たちは自覚していませんが、この冒険はポニョが人間になるための試練です。ポニョが魔力を持たない人間になるために、まずは魚の姿に戻る必要があります。(現にこの後のトンネルのシーンで、ポニョは魚の姿に戻ってしまいます)
古代魚の登場は、ポニョの人間になるための試練の隠喩だったと考えられます。
【ポニョ都市伝説②】ポニョが怖がったトンネルは「産道」のメタファー
真っ暗なトンネルを目の前にしてポニョが「ここ、きらい…」と呟いた理由を解説します。
ここは、ポニョが人間になる試練のラストステージです。トンネルは「産道」のメタファーで、ポニョが人間に転生する通過点を意味します。
トンネルの中でポニョは力を失い、最終的に魚の姿に戻ってしまいます。魔力を奪われているように描かれてあります。宗介に正体を見せるための演出として、グランマン・マーレが仕組んだのでしょう。人間になるためには、宗介がポニョの正体すべてを愛している必要があります。宗介がポニョのことを好きではないと言った場合、ポニョは泡になって消えてしまいます。
ポニョがトンネルを嫌がった理由は、宗介に嫌われるという不安や恐怖でした。
【ポニョ都市伝説③】老人ホームの人々が元気に走り回っていたのは既に死んでいたから?
「走れるってステキね!」
リサが働いている老人ホームにいたおばあちゃんたちは、普段は車イスに座って生活していました。しかし物語の終盤では、おばあちゃんたちが走り回るシーンが描かれています。
これには「死後の世界だから自由に走り回ることができたのではないか」という説があります。確かに、まるで天国にいるかのようにおばあちゃんたちは元気に楽しそうにしていました。津波によって町が飲み込まれているため、亡くなっている可能性も十分にあります。
しかし、グランマン・マーレやフジモトが魔法を施したという説も有力です。海に魔力が満ちているため、その魔力にあてられておばあちゃんたちが元気になったという可能性もあります。
【ポニョ都市伝説④】ポニョは赤ん坊を「天国」に送った!?
宗介とポニョがリサを探しに出かけた時、2人は古風な夫婦とすれ違います。女性の腕には産まれたばかりの赤ん坊がいて、泣き出しそうな赤ん坊にポニョがキスをした途端、泣き止むというワンシーン。
実は公式設定におけるこの夫婦は「大正時代の人」。宗介が生きている時代とは異なります。赤ん坊一人だけ生き残ってしまい、夫婦は心配で成仏できないのではないかとされています。
そこで思い出してほしいのがポニョの本名、ブリュンヒルデ。北欧神話に登場する戦乙女ワルキューレの長女の名前で、その役割は「死者を黄泉に導く」ことです。ポニョが赤ん坊にキスしたことによって、赤ん坊は両親のもとに送られ、安心して泣き止んだという見解があります。
『崖の上のポニョ』のジブリ飯にも都市伝説が隠されていた!
ジブリ作品には必ずといっていいほど「ジブリ飯」のシーンがあります。宮崎駿監督が描く食べ物は食欲をそそられますね。。『崖の上のポニョ』でも、食べたくなるようなジブリ飯が描かれていますが、実はそこにも「都市伝説」と呼ばれるものが存在する事をご存知でしょうか?
それでは、早速おいしそうなジブリ飯と共に、それにまつわる都市伝説を考察していきます。
【ポニョのジブリ飯都市伝説①】宗助とポニョが食べたチキンラーメンは死後の世界との境界線!?
『崖の上のポニョ』で登場するジブリ飯は、リサ特製のチキンラーメン。厚いハムとネギ、ゆで卵が乗っていてポニョは大興奮でした。
ジブリの世界では、食べ物が境界線を分けるキーアイテムになっていることも多々あります。『千と千尋の神隠し』では、千尋の両親があっち側の世界の食べ物を食べたことで豚になってしまいました。『崖の上のポニョ』でも同じことで、火を使用した料理というのは現世で食べるものだと言われており、チキンラーメンが境界線を示している可能性があります。
火を使った料理を食べてポニョも晴れて人間側の世界に来たという隠喩か、宗介が現世で食べる最後の料理だったという隠喩(ポニョが「死者を黄泉に導く」役割を持っている場合)か、あるいはその両方かもしれません。
【ポニョのジブリ飯都市伝説②】ポニョがハム好きな理由は現世の存在ではないから!?
ポニョは魚の姿の時、宗介のサンドイッチに挟みこまれてあったハムを食べてその魅力にハマっていました。リサが料理を作る時も、「ポニョ、ハムがいい!」とリクエストしているくらいでした。
強引に奪ったとはいえ、宗介から最初にもらった食べ物だからハムが好きなのでしょうが、ここに隠されたメッセージはあるのか解説します。
チキンラーメンが火を使用して作る料理なら、一方のハムは火を使わなくても、そのままで食べられるものです。だからこそ、そんなハムが好きということによって、ポニョが人間側の世界の存在ではないということを強調しているのでしょう。確かに、ポニョはハムを平らげてしまった後、他の食材にはほぼ手を付けずに眠ってしまいました。
まとめ
突き詰めれば突き詰めるだけ、少しぞっとするような都市伝説が潜んでいましたね。『となりのトトロ』然り、ジブリ作品は怖い都市伝説がネットでたくさん語られていますが、宮崎駿監督が込めた深いメッセージを読み解くことができれば、作中で感じた違和感も案外すんなり咀嚼することができるかもしれません。
「生まれてきてよかった」
これは『崖の上のポニョ』のキャッチコピーです。都市伝説の考察を読んだ後でこのキャッチコピーを考えてみると、ポニョの宗介に対する素直な愛情が垣間見えますね。
都市伝説の考察が本当なのか気になる方はこの記事を参考にして、『崖の上のポニョ』をもう一度観直してみましょう。実はまだ語られていない謎が見つかるかもしれません!