ナウシカに似ている?『もののけ姫』のテーマと5つの疑問を徹底考察

スタジオジブリの不屈の名作、『もののけ姫』。人間と自然の関係性を描いたストーリーは、同スタジオ作品の『風の谷のナウシカとよく似ていると言われています。しかし、作品の”テーマ”という点においても、『もののけ姫』と『風の谷のナウシカ』は同じなのでしょうか?
『もののけ姫』のストーリーを考察しながら、この作品に込められた宮崎駿監督の想いや、私たちに伝えたかったことを紐解いていきます。

『もののけ姫』のあらすじ

かつて、エミシの村に住む少年・アシタカ(松田洋治)は、村を襲った”タタリ神”と呼ばれる化け物を退治した。しかし、その時負った傷によって、アシタカは「タタリ神の呪い」を受けてしまう。
徐々に体を蝕み、死に至らしめる邪悪な呪い。しかし同時に、この呪いはアシタカに超人的な力をもたらすことになる。

呪いを解く方法を探るため、旅に出たアシタカ。神が住むという「シシ神の森」に訪れたアシタカは、そこで大きな山犬と共にいた一人の少女を見つける。彼女こそが、”もののけ姫”として人間達から恐れられる少女・サン(石田ゆり子)だった。

生きるために森を切り開く人間達と、森を守ろうとする山犬族。この狭間に立った時、アシタカが知る「タタリ神が生まれた理由」とは――。

『もののけ姫』5つの疑問を考察

1. アシタカとカヤの関係は?小刀の意味とは?

映画『もののけ姫』
出典:金曜ロードSHOW! 公式Twitter

タタリ神の呪いを解くため、村を旅立とうとするアシタカ。その時、カヤ(石田ゆり子)という一人の村の少女がアシタカの元に駆け寄り、玉の小刀を差し出します。

「お守りするよう息を吹き込めました。いつもカヤは兄さまを想っています。きっと…きっと…。」

とても神妙な面持ちです。こんな行動をする彼女は、一体何者なのでしょうか。
「兄さま」と呼んでいるのでアシタカの妹のようにも思えますが、実はそうではなく、彼女は里公認のアシタカの許嫁もう二度と帰ってこないであろうアシタカに対して、「永遠に想い続けるという乙女心の証として小刀を送ったのです。

「私もだ。いつもカヤを想おう。」

アシタカもこう返事をします。相思相愛、とても素敵なカップルですね。

しかし、しかしです。
森で出会った”もののけ姫”・サンに、「そなたは美しい」とすっかり惚れ込んでしまったアシタカ。なんと彼女に、カヤから貰った小刀をそのままプレゼントしてしまいます。
果たして、この小刀に込められたアシタカの真意とは?

彼はただの”女たらし”なのでしょうか?
…とここで思い出すのが、生きろ。」というこの作品のキャッチコピー。

映画『もののけ姫』
出典:映画『もののけ姫』公式サイト

カヤからアシタカへ、アシタカからサンへと贈られた小刀を、単なる恋愛感情として受け取るのは早計かもしれません。この小刀には、これが最期の別れであるという覚悟”と、愛する人に強く生きてほしいという祈り”が込められているのではないでしょうか。

2. サンはなぜ山犬に育てられるようになった?

映画『もののけ姫』
出典:金曜ロードSHOW! 公式Twitter

山犬といつも行動を共にしているサンですが、彼女はなぜ山犬に育てられ、森で生活するようになったのでしょうか。
その理由については、山犬の母親・モロ(美輪明宏)が語っています。

「黙れ小僧!」
「お前にあの娘の不幸が癒せるのか?」
「森を侵した人間が、我が牙を逃れるために投げてよこした赤子がサンだ!」

黙れ小僧!の名セリフについ心を奪われてしまいますが、その後のセリフも聞き逃せません。サンが山犬に育てられるようになった経緯が、しっかりと説明されていますね。

一昔前、赤子を連れた何者かが森に侵入し、モロがその人物に襲い掛かりました。その時、母親が見逃してもらうために、”生贄として差し出した赤子がサンだったのです。モロは捨てられた赤子に憐れみを抱き、我が子として育てていくことを決めたのでした。

映画『もののけ姫』
出典:金曜ロードSHOW! 公式Twitter

サンを捨てた母親の正体について、あくまで”都市伝説”の域を出ませんが、タタラ場のエボシ田中裕子)ではないかという説があります。
山犬が棲む危険な森に母親がわざわざ赤子を連れて入るというのは普通では考えられません。しかし、もしもその母親の正体が、シシ神の森で神殺しを目論むエボシだったら、と考えると無くはない話なのです。

異常なまでの憎しみをぶつけ合っていたモロとエボシ。果たして二人の因縁の関係は、サンの出生が繋いだものだったのでしょうか。

3. エボシが女性や病人を救済する理由は?

映画『もののけ姫』
出典:金曜ロードSHOW! 公式Twitter

アシタカが訪れたタタラ場では、女性が中心となって働く姿や、病人たちが丁重に扱われ仕事が与えられている姿が映し出されます。それらも全て、タタラ場のリーダーであるエボシの意志によるもの。エボシがタタラ場を創り、女性や病人を救済している理由とは何なのでしょうか。

そこには、作中では語られなかった彼女の過去が関わっています。

エボシは、人身売買で海外の倭寇海賊に売られたという過去があります。持ち前の美貌で頭目の妻にまで上り詰めたエボシですが、そこで頭目を殺害。金品を持って日本に戻り、現在のタタラ場を創り上げたのでした。
タタラ場が隣国が恐れるほどの石火矢の技術を有しているのも、エボシが日本に石火矢を持ち帰り、その後も継続して倭寇との関係を持っていることが理由のようです。

エボシという人物像について、宮崎駿監督はこう語っています。

「目的と手段を使い分けて、非常にヤバイこともするけれども、どこかで理想”は失っていない。”挫折”に強くて、何度も立ち直ってというね。」

 

人身売買によってエボシが味わった”挫折”。タタラ場とは、女性や病人などの弱い立場の人間が活躍できる場所を創りたいという、彼女の”理想”を実現したものなのかもしれません。

4. アシタカの涙の意味とは?

映画『もののけ姫』
出典:金曜ロードSHOW! 公式Twitter

タタラ場で受けた傷によって倒れてしまったアシタカ。サンはアシタカの傷を癒すために、シシ神の森に入ります。
意識が朦朧とする中、アシタカの元に歩み寄るシシ神。”生命の授与と奪取を行う”というその力で、彼の傷を癒しました。

「シシ神さまがおまえを生かした。だから助ける。」

サンはそう言い、まだ体を動かせないアシタカに食事をさせます。その時、アシタカの頬を一筋の涙が伝いましたこのアシタカの涙の意味とは何だったのでしょうか。

この涙は、生きていてよかった」というような、単純な生還の喜びを表しただけのものではないように思えます。もちろん、「サンに口移ししてもらえて嬉しい」などという下心から出たものでもないでしょう。

アシタカの涙の理由として、彼が2つの感情を抱いていたことが考えられます。

1つ目は、自分を助けてくれたサンへの”感謝”。これまで弱さを見せず一人で戦ってきたアシタカでしたが、こうやって他者の優しさに身をゆだねることでふと緊張の糸が切れたのではないでしょうか。

2つ目は、まだ旅が終わらないことへの”絶望感”。体の傷を癒してくれたシシ神でしたが、「タタリ神の呪い」までは取り除いてくれませんでした。この呪いがいかに根が深いものなのかを実感し、アシタカはこの先の自身の運命を憐れんだのです。

5. サンとアシタカはその後どうなった?

映画『もののけ姫』
出典:金曜ロードSHOW! 公式Twitter

シシ神の森を巡った争いは一件落着し、アシタカとサンに別れの時が来ます。

「アシタカは好きだ。でも人間を許すことはできない。」
「それでもいい。サンは森でわたしはタタラ場で暮らそう。共に生きよう。会いにいくよ。ヤックルに乗って。」

相思相愛の関係となったサンとアシタカ。しかし二人は一緒にはならずに、森とタタラ場という、それぞれの世界で生きていくことを選択します。その後、二人がどうなったのかは作中では描かれていませんが、宮崎駿監督はインタビューでこのように語っています。

「彼らはずっと良い関係を続けていくだろうと思います。」
「それから、サンが生きていくために、アシタカはいろいろな努力をするだろうと思います。同時に、タタラ場の人々が生きていくためにも、大変な努力を払うだろうと。」

サンが生きていくため、タタラ場の人々が生きていくため、アシタカがした”努力”とは一体何なのか。これこそがこの『もののけ姫』の終着点であり、この作品のテーマに繋がってくる部分と言えます。

もののけ姫のテーマは「自然との共存」ナウシカとの違いとは?

映画『もののけ姫』
出典:金曜ロードSHOW! 公式Twitter

この作品のテーマを読み解くために、まずは風の谷のナウシカ』のストーリーを振り返らなければなりません。

荒廃した世界で生き延びるため、自然破壊を続ける人間達。そんな中、自然を愛するナウシカは人間達の蛮行を食い止め、自然を守り、両者が共存する世界へと導いていきます。

『もののけ姫』と比較するなら、自然を守ろうとするナウシカサン、人間を第一とするクシャナエボシ、自然界の象徴である王蟲シシ神。確かにこの2作品の関係性はよく似ています。

では、『もののけ姫』のテーマもまた、ナウシカと同じ「自然との共存」なのでしょうか。その答えとなってくるのが、両作品の共通点として挙がらなかった人物、主人公アシタカの存在です。

映画『もののけ姫』
出典:金曜ロードSHOW! 公式Twitter

サンとの別れの時、アシタカは森には行かずタタラ場で暮らすことを選択します。その上で、森で暮らすサンと「共に生きよう」と誓うのです。これは、人間自然の間に自分が立ちこの先の両者の関係を繋いでいくという覚悟の現れでもあります。

この作品の根底に、ナウシカと同じ「自然との共存」がテーマにあることは間違いありません。しかし、両者が手を取り合って生きていくことの難しさは、これまでの人類の歴史を見ても明らかです。
タタラ場はこれからも生きていくために森を切り開くでしょうし、その度にサン達と衝突するのかもしれません。それでも、互いに尊敬の念を持ち続けることができれば人間と自然は共に生きていくことができる。アシタカという存在には、そんな宮崎駿監督のメッセージが込められているのではないでしょうか。

『風の谷のナウシカ』において「王蟲」は”自然の象徴”そのものであり、ナウシカは彼らと手を取り合うことで、「自然との共存を成し遂げた姿を私たちに提示しました。しかし、『もののけ姫』における「山犬族」は、自然に生かされている1つの存在にすぎません。人間と山犬族は対等の立場であり、それ故に両者が最後まで手を取り合うことはなく、そのまま物語は幕を閉じます。

「自然との共存を成し遂げるためにはどうすればいいのか?」

この作品は『風の谷のナウシカ』と同じテーマを描きながらも、最後に私たちに大きな”宿題”を残しているのです。

おわりに

以上、『もののけ姫』のストーリー考察でした!
『もののけ姫』は私たちの”過去”、『風の谷のナウシカ』は私たちの”未来”を描いた作品と言われています。過去の世界から何を学び、未来の世界に何を残していくのか。宮崎駿監督は、作品を通して私たちにその答えを教えてくれているのかもしれません。